今までにあった修羅場を語れ【その23】
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350: 名無しさん@おーぷん 2017/07/03(月)18:37:28 ID:feN
私が生まれ育った家庭は変わっていた。
父は家を一歩出るととても気弱な人で、殴る蹴る、借金、ギャンブル癖などは皆無
でも家の中では自分が中心でないと我慢できない人だった。
家族構成は父、母、祖母、私。両親は共働き。

父は一日おきくらいに「お父さんとお母さんどっちが好きだ?」と聞いてきた。
そこで「お父さん」と答えないと、暴力はないけど、
父が母に「おまえの教育がなっていないから、父親を敬わない子になった」
と2時間くらいネチネチ言う。
それがいやで、いつも「お父さん」と答えていた。
とにかく父を立てていれば家庭は平和だった。
また、私が母に直接話しかけるのは許されていなかった。

たとえば「明日のお弁当はいらないです」と連絡事項があるとしたら、
夕飯の席など両親が揃っている場で、父に対し言わなくてはならない。
父がお弁当を作るわけではないし、
横にいる母に聞かせるために言っているんだけど
あくまで父に向かって話さないといけない。
だから女同士だけでしたい話、生理や下着などのことも父に言わなくちゃいけなかった。

私が祖母に話しかけるのは禁じられていなかったが
祖母は必ず父にあとで告げ口したし、
祖母を介すと必ず話がちょっとねじ曲がって伝わったから
私が直接父に言う方がマシだった。
祖母がいつも「ひろちゃん(父)はデリケートで扱いが難しいのはしょうがない」
と言っていたので私はかなり大きくなるまで「父はデリケートなんだ」と信じていた。

家族の中で誕生日を祝われるのは父だけだった。
というか祖母と父が企画して、私と母が参加する感じ。
クリスマスも子供に対するプレゼントとかじゃなく、皆が父に何かをあげていた。
私は小学生の頃は「お父さんを描いた絵」とか折り紙なんかで許されていたが
中学生からは2000円以上のものをあげなくちゃいけなかった。
バレンタインも同様。父からのお返しはなし。
今思うと「ありがとう」の一言すらなかった。

高校生になるとずる賢さが芽生え、母とは外で会うようになった。
外で会っても話が弾むわけじゃないけど、
業務連絡や進路相談は直接できるようになった。

現在は祖母は亡くなって、両親は別居中。
私は実家を出て働いている。
父はなぜ私が実家に寄りつかないか本気でわからないらしい。
「可愛がってやったのに」って言われるけど、
父の記憶の中の私はどう可愛がられてるんだろう。